渡良瀬川の橋・福寿大橋
橋 長429m
幅 員:12m
完 成:平成6年
位 置:下流から32.75Km
路 線:市道助戸・新山福富
見た目:きれい
 河川敷内の渡良瀬ウォーターパークを下に、さらに渡良瀬の清流をまたぎ、まっすぐにのびる長い橋である。その名も縁起の良さそうな「福寿大橋」だ。平成6年の開通 と足利では新しい橋である。
 この年は市立美術館が開館するとともに、「足利学校、鑁阿寺周辺地区」が平成6年度都市景観百選にえらばれている。また、このころから両毛広域都市圏の交流も活発となり、翌年には公共施設の相互利用が開始された。地域を分けるのが昔から、川とか山があるが、着々と整備されるにあたって、群馬と栃木の両県の結びつきも深まって来た。これからは、県境を超えた情報の交換であろう。福寿大橋の南岸は問屋団地や御厨工業団地がひろがる。
 この御厨という名は由緒がある。大和時代朝廷が東国を平定した頃には、この地域には朝廷直属の領地として発展していた。その後、十一世紀の頃、この地を梁田御厨と呼んだ。この御厨というのは、伊勢神宮の神領として成立していることをいう。
 この時代は、有力豪族層をはじめ、武士団、有力社寺などが荘園や御厨や保と言う形で私領を開発していった。例えば、藤原系の佐野、足利、佐貫、小山などと源氏系の新田、足利、中泉、皆川、大内など。伊勢神宮の領地(御厨や保)としては、園田、須永、邑楽、梁田、戸矢子、山上などの地区である。そして、地域の中で八木宿が例幣使街道の宿場街として栄え、のち国道50号線等交通 網の発展によって、道路の沿線に数多くの工業団地が造成されていった。問屋団地や公設市場などである。
福寿大橋関係
その近辺等の情報・画像・リンクが有りました御投稿をお願いします。