渡良瀬川の橋・足尾橋
橋 長50m
幅 員:4.6m
完 成:○○年
位 置:下流から○○Km
路 線:○○
見た目:きれい
 渡良瀬川に沿って走り続けた列車は旅客駅の終着駅である間藤駅で折り返す。その次ぎが、足尾駅である。この辺から、昔の華やいだ空気のなごりを感じさせる。国道122号線から緑の均整のとれたアーチが目に飛び込んで来る。足尾橋である。渡良瀬川の対岸には住宅が並び、足尾中学がある。足尾バイパスがなかった頃は、この橋から粕尾峠を抜け、粟野町、そして鹿沼に至る。途中、横根山森林公園や前日光県立自然公園にも通じている。
 さて、足尾の地名の由来を郷土誌に探る。昔(今から千二百年程前)、日光山を開いて中禅寺で修行中の勝道上人が、毎年、寺に現れる一匹の白いネズミがいた。口には粟の穂をくわえていた。「このような山奥に粟の穂などあるわけがない」と不思議に思った勝道上人は、そのネズミの足に緒(お)を結んで放した。あとを追っていくと南の方のはるかへだった部落に出た。そこで、その部落を足緒(あしお)と名付けたのが、後に足尾と改められたという。また、その白ネズミをまつったのが宝増寺にある波之利大黒天(はしりだいこくてん)である。現在、足尾の若者達で組織する「足緒睦」がまちづくりの一環として、毎年九月の第二土曜日に、この大黒天そっくりの神輿をかついで町にくり出す。
 この伝説には、つづきがある。勝道上人がはじめて足緒の地に着いたところ、川には橋がなく思案にくれてしまった。そして、川の浅瀬を探して渡ることができた。そして、その川を渡良瀬川と名付けた、という。
 確かに、足尾の歴史は古い。すでに、石器時代から人が住み、奈良平安時代になると、足尾を修行の地としてやって来た僧たちによって開発された。
新渡良瀬橋関係
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